社会が正しいと考える会社経営を行う 【松下幸之助に学ぶ経営哲学9】

こんにちは、税理士の小野尾です。

今回は【松下幸之助に学ぶ経営哲学】の第9回目です。

私はドラッガーからではなく、日本人である松下幸之助から経営哲学を学んでいます。その想いはこちらに綴っています。

ピーター・ドラッガーより松下幸之助【松下幸之助に学ぶ経営哲学】

 

今回は社会との関係性についてです。

会社というものは、いろいろな形で、しかも、直接的あるいは間接的に社会や個人とかかわってきます。

ですから、社会や個人が考えていることや行動することをどう見るかということは会社経営ではとても大切なことになります。

これに関して松下幸之助は、こう言っています。

世間は正しいと考えれば、世間の求めに応じた経営をしていこうということになる。」

個々人を見てみれば、それこそ十人十色でいろいろな人がいますので、考え方や行動も千差万別です。ですから、その全てが正しいとは言えません。

でも、だからといって社会全体が正しくないかというとそうではないと松下幸之助は言っています。

「全体として、長い目で見れば、世間、大衆というものは神のごとく正しい判断を下すものだと私は考えている。」

神のごとくというのは極端かも知れませんが、確かに間違った会社経営をすれば社会から非難されることになりますし、逆に、正しい会社経営をすれば社会から受け入れられることになります。

そもそも、会社経営は社会から認められて初めて成り立つものです。社会から認められない、受け容れられない会社は存在意義がないといえます。

ですから、社会から受け入れられるということが会社経営を行うではとても大切なのです。

正しい会社経営をすれば社会から受け入れられるという考え方を持つことができれば、経営判断を行う際に安心感を持てるのではないでしょうか。

判断基準がはっきりすれば、迷いが減り、安心感を持って判断できるようになるからです。

経営判断を行う時に迷う事はあると思います。

そんなときに、「正しい会社経営を行えば、社会から受け入れられる」と考え、そして「何が正しいか」と考えるという判断基準があれば迷いは減ります。迷いが減ることで安心感が生まれます。

何が正しいかを考え、その通りに会社経営を行えば、結果的にその会社は社会から認められることになりますが、そのときに忘れてはいけないのが、生成発展という自然の理法です。

社会そのものが自然の理法に即している訳ですから、自然の理法に反した考え方では、そもそも社会から受け容れられなくなります。ですから、生成発展という自然の理法に則して考えることが必要になります。

この点について松下幸之助は、自然の理法に「立脚して”何が正しいか”を考えつつ、その正しいと考えるところを行っていくならば、それは基本的には世間から受け入れられるものと考えられる。」と言っています。

生成発展という自然の理法に則して、社会は正しいと考え、その正しい社会に受け入れられるように会社経営をしていけば、会社も自然の理法に則して生成発展することになります。

松下幸之助の言うように社会が正しいと考えるのは難しいとは思いますが、単に社会から認められる会社になると考えることだけでも、とても大切だと思います。

最後に私が教科書にしている本をご紹介します。
実践経営哲学 (PHP文庫)